自分を信じ切れてないのは、自分自身

久しぶりのブログ更新になってしまった。

3月下旬から眠ダル頭痛の再発で、日がな一日、グダグダ寝続ける日々。

一昨日から広島県は福山市(のはじっこ)の実家に帰省中。
家事手伝いするはずが、・・・ちょっとは皿洗いとか掃除の手伝いはしてるけど、基本グダグダです、すんません。
帰る前日くらいから違和感を感じていた右手の中指と薬指の先の痺れが段々ひどくなって、しびれの範囲が広がり、右手にあんまり力入らず、肘から下まで痛む始末。
今日は、実家にあったロキソニンテープを貼って痛みが和らいだ分、どうにか動かせてるけど、力は入らない。
箸で重いものを挟んで持ち上げるのが大変だったので、赤ちゃんみたいにときどきグーでフォーク使って、子どもに笑われたナリ・・・。

まぁ、今までさんざん体のあちこちで神経麻痺が起こってきたので、もう慣れっこ。
今後の流れが大体分かってるので、長い目で見るとあんまり心配してないんだけど、右手が使えなくなると色々大変かなー。
宇都宮に帰ったら、病院行ってきまーす。
以前、同様に左手が神経麻痺(そのときは小指側)を起こしたときにかかった病院は、数年前に破産して、別の医療施設になっているのがイタイ・・・。
どこの病院、行こうかな・・・。

どこかに出かけるほどの元気もないので、幼なじみか兄弟に読ませようと宇都宮から送って帰った(完結済みの)マンガを自分で再読してる。

こういう冒険ものを読むと前向きな主人公たちに励まされる反面、自分の身を投げ打って自分の大切な人やものを守ろうと必死な姿がうらやましくて泣けてくる。
そんなきれいな話だけじゃなくて、恨みつらみ妬み・・・などの人のドロドロした面もストレートに突きつけられもする。

大切な誰かの為に、自分の身を顧みず、危険に飛び込む人間が、羨ましい、恨めしい
自分がそうするはずだったのに
そうされるはずなのは自分だったのに
あの人を特別な人にしたかった
あの人の特別な人になりたかった

何者かになろうとして、何者にもなれなくて、
誰かの為に生きたくて、
そのつもりだったけど、
思い返してみれば、
どこまでも「自分」「自分」「自分」・・・

(それなりに葛藤しちゃあいるが)主人公サイドではなく、そんなドロドロした気持ちの中でもがき苦しむ脇役の方に感情移入しちゃうのは、どーしたことでせうか。

なりたくてもなれなかった姿を見せつけられて、自分の無力さ加減に打ちのめされてる。

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えIIで、問題行動の五段階について出てくるけど、最終段階の「無能の証明」にまで陥ってたんじゃないかとやっと気がついた。
さらっと読んだときは、第二段階くらいまでは子ども達とトラブル起こす友達のことを思い出してフムフムと思ってたんだけど、その先は実体験としてよく理解できてなかった。

まずは称賛を求め、次に注目されんと躍起になり、それがかなわなければ権力争いを挑み、今度は悪質な復讐に転じる。そして最終的には、己を無能さを誇示する。

休職するまで、そして休職してからの過程は、まさにこれだなぁと思うところが多々あり。

そして、最終的に、自分のことを信じてくれる他者がいるにも関わらず、その言葉を聞き入れず、自分のことを一番、信じられなくなったのは自分自身で、自分を見捨てていたのは自分自身だと気づいた。

為したいことも、大事にしたいことや人もあったけど、それを為しえない、大事にできない人間だという烙印を押したのは自分自身。

・・・てなことを前にも書いたなー。

あいかわらず、まだそこから抜け出せてなくて、何が問題なのかもぼんやり見えてはいるんだけどさー、今一つ足らない。

痺れて冷え切った指が限界なので、今日はこの辺で。
泣きべそかいたから、胃が痛い・・・。

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