人と話さないと気づかなかったことに気づけた…これこそ他力本願

3月の末に福山に帰ってきたときは、咲き始めたばかりだった福山城の桜も満開。
福山駅の新幹線の上りホームからわずかな時間、花見を楽しんで故郷を後にした。

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今回の帰省では、保育園から高校まで一緒だった幼なじみ達と外食したり、今までの生活を続けてたら絶対知り合えなかったような方々ともご一緒させていただいて、色んな立場からの色んな意見、話を伺えてとてもよかった。

狭い価値観の中でぐるぐる考え続けるばかりで、答えが見えなかったこともなんとなく分かった気がする。

子供を産むまで「(母)親とはどうあるべきか」なんてことを考えることは一切なく、親として、子持ちの社会人としてのどう行動すべきか、どう考えるべきかの価値観が自分の中になかったせいで、行き当たりばったりで周りの人や社会一般の価値観(すでにある社会構造)に自分を当てはめよう(適応させよう)としたんだけど、それはどちらかというと本来の自分の性分とは真逆だったってこと。

地元から遠く離れて核家族で子育てをすること、子持ちで専門職を続けること、身近にはいわゆるロールモデルは皆無。
専門職で働いていた先輩も出産後は事務職になり、仕事を続けることを家族から反対され「本当は辞めたくなかったんだけど…」と送別会の挨拶で漏らして辞めて行ったり、子持ちで管理職になれた女性は(当時)一人もおらず、自分の見える範囲でバリバリ働いてる女性といえば、独身かDINKSで「◯◯姐さん」と呼ばれるような男勝りな方々ばかり。
社会的にもマミートラックの問題が記事になったり、経済雑誌記事に出てくる活躍しているワーマザは、よくよく読むと旦那や両親、都会でしか受けられないサービスなどの育児資源に恵まれていたりして、「子持ちで時間的制約があると、重要な仕事を任されない」と勝手に思い込んで、自分から萎縮して手を上げないくせに、「下らない仕事ばかりやらせる」と会社を恨んだり、子持ちで活躍している女性社員がいても「育児資源のない自分にはああはできない」と妬んだり。
挙句、ほとんど逆恨みのような思い込みで、変ながんばり方して体壊して休職。

「すべては自分のせい」という言葉を誤解して、「じゃあ、どうすればよかったんだ」という方法論ばかりを考えて悩み続けてきたけど、そもそも「管理職になれば、働き方の裁量権が『与えられ』て、今より楽に働けるから、管理職を目指してがんばろう」っていう目標の立て方自体が、完全に間違ってたことを(頭=理屈では分かってたけど)やっとそこそこ腑に落ちてきたかな〜。

何もかも、誰か(親、上司、総務、会社…etc.)他人から許可をもらわないとやっちゃいけないと思ってた。
いまだにちょっとそういうところあるけど。最低限、身近な人の機嫌は損ねたくないし。

そうじゃなくて…、
自分の成長に役に立たない、もっと単純に、やって面白くない、楽しくない、下らない仕事だと思えば、断固として断っちゃえばよかったんだし、
(昇進の為には仕事断らない方がいいかと思って、ほぼ受けてたし、そうでなくともお人好しだから、自分が断っても自分の代わりに誰かやるんなら、やろうと思っちゃってたけど。
慢性的にすごい人手不足だったし←これも多分思い込みで、忙しいフリして大して仕事してない人もいたんだと思う)
面白いと思う仕事ならどんどん首つっこみゃよかったんだし、
手に負えないなと思えば、(意地を張ってたつもりはなかったけど、周りも自分と同じくらいかそれ以上忙しいんだろうからと)遠慮せずに「助けてー」って言えばよかったんだろうな。
まぁ、言える雰囲気じゃなかった…と思うのは、思い込みなのか事実なのか。
実際「助けてー」って言ってないから、「いいよー」って言われるのか「いや、こっちもムリ。ゴメン」って言われるのか…うーん、分からん。

まぁ、とにかく現状認識が甘かった。

どうにかなるだろうの楽観主義ではなく、どうにもならん…( ;´Д`)の悲観主義で、本当はやりようがあったかもしれないのに、視野を狭めて「リソースはある」という現実をありのままに見ることができなかったという意味では。

悲観論が漂っていた社内や社外の評価の雰囲気に飲まれた。

人によっては、そんな雰囲気はなかったという人もいるかもしれない。
あー、楽観主義の人ととことん話が合わなかったの思い出したかもしれない。

今こうなったのは、自分のせい。

それは、あの頃、「楽になりたい」という目的のために、何をどうすべきかという問いに本当に楽になれる答えを出せなかったことではなくて、望むことを叶えるための答えを出すために、事実をありのままに見ることができる目を自分が持ってなかったということ。
決して、がんばりや努力や知識が足りなかったという根性論ではなく、自分が歪んだメガネや曇ったメガネを通して世界を見ていることに気づいてなかっただけ。

…ということを何度も書物で読んだ気がするし、こうやって文字にするとありきたりだなぁと思うけど、やっとだいぶ腑に落ちたんだよね。

帰省中に色々、家のこと手伝おうと思ってたのに、右手が動かなくなって手伝うどころか余計に手間をかけさせることになったのに、あんまり母からはイヤミ言われなかったし。
自分の記憶の中での母は、こんなときには溜息つきまくって、下手すると「帰って来なきゃよかったのに」ぐらい言いそうなんだけど(ひどい(笑))、むしろ気づかってくれて、「なんだ。何にもできなくても、どうせ愛されてんのか」って思ったし。

ありのままの現実と脳内妄想(記憶とそこから喚起される感情)の話を、生の声で聞かせてくれる人がいたので、やっと分かってきた。
人と実際に会って話すの大事。ホント大事。
テキストのやりとりでは分からない話言葉のペースとかトーンとか表情とか。会話だと相手の反応もダイレクトで伝わったかイマイチだったかも分かるし。

自分一人ではま…ったく辿り着けなかったところに、ちょっと歩み寄れました。
本来の意味での「他力本願」を実感。
今回、右手が動かなくなったのも、自力の執着からもっと抜け出せるようにとの神様(仏様?w)からのお告げかな。

しばらく不自由な生活なので、子ども達にも(ストレスかかり過ぎない程度に)甘えますが、来週からは学校が始まって平日日中は暇人なので、いつも通り、ランチのお誘いは大歓迎です!
箸が使えないので和食よりフォーク&スプーンでも違和感のない洋食とか手づかみでいいハンバーガー系でお願いします(笑)

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