やろうと思ったのに、できない理由は二つ

やろうと思ってるのに、なかなか手がつかない場合、実は「やりたくない」んである。
やりたくないから、ああだのこうだのできない理由をつけてるだけである。

できない理由があるからやれないんじゃなくて、やりたくないからやらないだけ。
うだうだできない理由を能書きたれてる間に日が暮れちゃうけど、やりたくないからやらないだけ。

(と、先日人からズバッと突かれた(笑)
分かってるつもりだったけど、自分で自分を誤魔化すのうまいよね、人間て)

やりたくない理由には、主に二つあって、
一つは、やろうと思ってることが今までに経験したことと同じか、その延長線上にしかなく、だいたい結果が見えていること。
尚且つ、それをやってもよくないことになるか、その結果が楽しくないことになることを知っているから。

例えば、何か自分の落ち度を誰かに報告するとき、たいていの場合は抵抗を感じるだろう。
言わなきゃいけないことは分かっているのだが、「この人にこういうこと話すと、必ず責められたり、怒られたりするんだよな〜」と、自分の気分を害すことがあらかじめ分かっちゃっているのである。

やりたくない理由のもう一つは、やろうと思っていることが未経験のことで、どうなるのか全然予測がつかないから。
未知のことへの不安から、一歩が踏み出せないのである。

昨日書いたように、ホルモンの作用で肉体的な恒常性(こうじょうせい)=ホメオスタシスが保たれているように、精神的な恒常性を保とうとする機能が脳にはある。
強制的な外部環境の変化によるものでもなければ、わざわざ自分から未知の環境や経験に飛び込まなくてもいいじゃないか。今まで通りが一番安全だよ、と無意識下で足を踏みとどまらせているのである。

でも、経験済みのことをやらないよりも未経験のことをやらずに踏みとどまってる方がもったいない。
だって、未経験なことを経験するんだもん。実際にやってみたときの経験値の上がり方=人生の幅の広がりは大きい。

まぁ結局、どっちにしろ、ああだのこうだの理由をつけてやらないんである。
下手すると、その予期不安すら遮断するために「あれやろう」「これやらなくちゃ」と思ったことすら、キレイさっぱり忘れちゃうのである。

余談で、一番の安牌は、「今までやったことがある」ことで、尚且つ「それによって得られる結果が自分にとって心地よいもの(と経験的に知っていること)」。
そればっかりやってるとマンネリだと思われがちけど、心が弱ってるときは、それを繰り返して、不安を打ち消すぐらいの楽しい記憶、できた!っていう達成感を積み重ねるのも大いに役立つ。
地政学者の奥山真司さんの世界を変えたいなら一度”武器”を捨ててしまおうという本に出てくる累積戦略でもある。コツコツコツコツ。

もしやってみたいことを思いついたのに、イマイチ気分が乗らないときは、まず、上記の二つ(経験済みで楽しくないことか、未経験なことか)のどっちかに分類してみる。

経験済みで楽しくないことなら、まだ不快なことは起きてない(未来は確定してない)ので、もしかしたらいつもとは違う結果が起こるかもしれない。悪い結果ばかり予想してしまうのは、「過度の一般化」という認知の歪みだ、と思ってみる。
もしくは、過去の失敗(?)したやり方から変えてみる、とか…etc。

未経験なことなら、不安になるのはホメオスタシスのせいで、本当はやりたくないわけじゃない!やってみようと思った自分の気持ちを大事にしよう!と思ってみる、為せば成る為さねばならぬ何事も!と自分を鼓舞してみる、うまくいったときのうれしい、楽しい気持ちを想像してみる、とかかなぁ(笑)

ま、「なぜ自分はコレをやりたくないのか」という質問の答えを見つけられた時点で、ほぼ問題は解決してるのである。

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